ちょっとサイエンス

2017年5月29日 (月)

0.2ミリからヒトへ:「卵からはじまる形づくり」

525日 「卵からはじまる形づくり」(国立科学博物館)
170529egg 自然史博物館の後、日本館でやっていたので、覗いてきた。地球館でも展示があったようだけど、疲れて足を運べなかった。
「あなたも私も、みんな最初は直径0.2mmの受精卵でした」で始まる展示。本当に不思議だよね、0.2ミリの卵が細胞分裂を繰り返して(昔、生物の授業でやったけど、苦手だったな)、約10週後にはヒトの形になるのだから。ここではまず、成長のモデルとしてニワトリを取り上げ、腸管、脳、手足、骨などができる様子が紹介されている。ニワトリとヒトの遺伝子の数には大した差がなく、体ができていく仕組みはよく似ているのだそうだ。脳の発生はすべての脊椎動物で共通していて、基本の管からどの部分が発達するかが動物によって違うのだそうだ。大脳はやっぱり人間が一番大きく、大脳の大切さをあらためて認識した。
私が興味を持ったのは細胞の標識。ゼブラフィッシュ(1世代3カ月)やメダカの受精卵に試薬を注入する技術で、蛍光色素で標識された細胞が分裂していく様子を追跡することができる。観察していたら面白いだろうなあと思う。
植物も卵から始まる。植物の受精卵ははじめ動物のそれとよく似た卵割をするが、動物のような原腸形成は行われない。つまり動物は増えた細胞が激しく動いて原腸ができあがり、その後各胚葉から多くのパーツ(器官)が発生するけれど、植物は葉、茎、根の3パーツだけを作るのだ(もちろん、これ全部受け売り)。

細胞移植、生殖細胞、細胞の再生、分化…難しいけれど興味深い。自然史でエネルギーを使ってしまったので、さ~っと流して見たが、元気な時にこれを中心に見たい展示だった。理研100年と同様知っていたら、絶対別の時に行っていたのに。

| | コメント (0)
|

2017年3月18日 (土)

日本の科学発展史:理研100年

316日 「理化学研究所百年」(国立科学博物館)
170318riken1 大英博物館のついでに見ようと出かけたら、大英はまだやっていなかった(318日~)。そこで理研のみ見たのだが、単独で見て正解。展示は企画展で小規模なのだが、じっくり見て、さらに関連展示で地球館を久しぶりに訪ねたらすっかり疲れてしまった。体力落ちてるし…。

理研は最近ご無沙汰しているが、過去に23度一般公開日に見学したことがある。ニホニウム合成チームのリーダー、森田浩介博士から直接お話も伺っているのだ(プチ自慢、いやかなりの自慢)。熱心な研究者の熱心な解説というのは人を惹きつける、と当時感動したものだった。そのくせ理研のことは何にも知らないに等しいと、この展示を見て思い知らされた。科学のことなんてさっぱりわからないけれど、記録しておくことは自分にとって必要だと思うので、以下に。
財団法人理化学研究所ができたのは大正6320日、今から100年前のことである(20日に行けばよかったかしら)。高峰譲吉(タカジアスターゼ、アドレナリンの発見者)らの提唱で政財界、官学界協働で設立された。明治時代、日本は欧米の文化や科学技術を導入してきたが、その欧米の工業は基礎研究に基づくものへと変化していた。そうした事情を熟知していた高峰が、欧米諸国に劣らぬ国力をつけるには国産の基礎科学研究が必要と考えて各界に働きかけたそうだ。設立に尽力したメンバーとして、渋沢栄一、櫻井錠二(化学者)、池田菊苗(グルタミン酸ナトリウムの発明)、伏見宮貞愛親王の名が挙がっていた。
理研の発展に大きく尽力したのは第3代所長、大河内正敏である。研究費は惜しまず、一方で理研の財政を支えるために製品化に結びつきやすい研究に力を入れた。ベンチャー企業のさきがけだね。財団法人理研は1948年に解散するが、大河内は192146年の実に25年間所長を務めたのだ。
この時代に活躍した研究者として、長岡半太郎(長岡原子模型提唱)、本多光太郎(新KS鋼発明)、鈴木梅太郎(ビタミンB1発見)、寺田寅彦、真島利行(日本の有機化学の父)、朝永振一郎、湯川秀樹、黒田チカ(日本で初めて帝国大学に入学した女性の1人、ベニバナの色素研究、日本で2人目の女性理学博士。ちなみに第一号を調べたら東大の保井コノという人だった)、加藤セチ(アセチレンの重合研究により、3人目の女性理学博士)がいる。長岡、本多、鈴木は理研の三太郎と言われていたそうだ。
そしてかの有名な仁科芳雄。大河内の後、4代目所長となり、その後1948年に理研が株式会社科学研究所になるとその初代社長に就任した。仁科は1921年からヨーロッパに留学し、コペンハーゲン大学のニールス・ボーア教授の下で量子力学を学び、28年に帰国すると理研に仁科研究室を開設した。ボーア教授を日本に招いた時の貴重な映像が紹介されていたが、若き日の朝永振一郎らの屋上でのランチやはしゃいでいる姿が印象的であった。また研究者たちが活発に討論している映像は、なんか感動的であった。仁科は湯川にボース粒子の助言を与え、それが中間子論のヒントになったと言われているそうだ。湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞は1949年のこと。そして1958年には朝永振一郎がノーベル物理学賞を受賞する。
仁科は1937年小サイクロトロン、1943年大サイクロトロンを完成させるが、小サイクロトロンは空襲で損壊、大サイクロトロンは、原子爆弾の研究に繋がるとのGHQの誤解で太平洋に投棄された。これには海外の科学者から抗議の声が上がったそうだが、この時の仁科らの心情を思うと胸の奥がフツフツしてきたし、一方で海外の声について知ると仁科が世界レベルで尊敬を集めていたことと科学者たちの科学に対する誇りを感じてまた別の意味で胸が熱くなった。

続きを読む "日本の科学発展史:理研100年"

| | コメント (2)
|

2015年12月31日 (木)

113番目

今年最後の嬉しいニュース、日中車の中で聞いて、「おおっ、やったぁ」と叫んでしまった。
113番目の元素の命名権を日本が得たというニュース。
この元素が理研で確認されたことを知り、理研一般公開日に見学に行ったのが2007年4月。リームリーダーの森田先生ご自身から色々お話を聞けたのだった(→当時のレポ)。だから、とっても嬉しい。実際に名前が決まるのは1年後なんですって。「名前の候補は考えていない。あっても言えない」とおっしゃる森田先生はさすが。どんな名前になるのか楽しみ。ちなみに、うちのトイレには科学技術広報財団が2005年に出した元素周期表が貼ってあって、そこには2004年に理研で発見されたとして113番目の元素も載っている(もう10年以上経つんだ…)。

さて、12月分も積み残しがいっぱい。反省していますが、なかなか頭が気持ちが働かない…。年が明けたらなるべく早く、と思っております。

1年間ありがとうございました。

ジルベスター、ぴったりいくかな。あと3分弱。

| | コメント (0)
|

2015年10月 2日 (金)

9月は上野で:生命大躍進

929日 「生命大躍進」展(国立科学博物館)
151002seimei1 毎度毎度、駆け込みで、今回の会期も104日まで。会期末だからか、平日なのに、かなり混んでいた。
「目」「母の愛」「知性」の3回に分けて放送されたNHKスペシャル「生命大躍進」のうち「目」を見て非常に面白かったので(「母の愛」はまだ見ていない、「知性」は録画し忘れたという、超いい加減)、この展覧会は楽しみにしていた。
脳が追いついていかないような遥か40億年前から現代へ、たくさんの貴重な化石や151002seimei3 全身骨格、骨格標本とともに進化の歴史をたどる展覧会である(化石好きにはたまらんでしょう。触れる化石もある。恐竜の足にも触った)。動画以外は写真OKだし(でも混んでるし、展示物が暗かったりして、あんまりうまく撮れなかった。写真の説明は後述)、子供向けのやさしい解説もあって、じっくり楽しめる。
全部レポするのは大変だから、ココへ丸投げしてしまいます(超ズボラ、乞御容赦)。とくに興味深かったことだけ書いておきます。
生物は40億年前~37億年前、海で生まれた。37億万年前の海にバクテリアのような生物が存在していたことが明らかになっている。その痕跡(グラファイトという炭素)が岩石に残っているのが不思議で不思議でしょうがない。37億年もよくぞ‼
「カンブリア大爆発」、言葉は知っていたけれど、内容はこのたび初めてちゃんと知った。54000万年前~48500万円前のカンブリア期、主な動物の祖先がすべて出揃ったのがそれだ。地球環境が整えられていったのだろうが、どうしてカンブリア大爆発起こったのかはわかっていないようだ。
生物の進化の過程で、5大絶滅事件というのが起こっている。①オルドビス紀末の 151002seimei4_2 大量絶滅:約44000万年前。海洋に生息する全生物種の85%が絶滅した。急激な寒冷化、その後の温暖化、それに伴う海水準の変化、無酸素水塊の発達など短期間の変化が原因らしい。その後、生物多様性は回復する。②デボン紀後期の大量絶滅:約37000万年前。生物種の80%以上が絶滅した。とくに海の無脊椎動物が打撃を受けた。寒冷化、海の無酸素化、隕石の衝突ななど、原因については議論が続いている。③ペルム紀末の大量絶滅:25200万年前に起きた地球史上最大の事件。陸海問わず全生物種の90%以上が姿を消した。気候変動、大噴火などが原因と考えられているが、未だ謎。これより800万年前に起きた大きな絶滅事件も最近注目されている。④三畳紀末の大量絶滅:約21000万年前。海ではアンモナイト類、巻貝類、陸では単弓類、ワニ類が打撃を受ける。とくに単弓類はこの後、新生代に入るまで大型種が再出現することはなかった。⑤白亜紀末の大量絶滅:約6600万年前。恐竜が姿を消したのがこの時だ。ユカタン半島に直径10km(‼)の小天体が衝突したことにより、地球上至る所で灼熱状態となり、メキシコ湾岸を300mの津波が襲った。衝突による塵、火炎による煤などで太陽光が遮られて寒冷化が起きたうえ、硫酸の酸性雨が降り注いだ。今でも小惑星の衝突の予想や回避が話題になるが、考えるだに恐ろしい。恐竜たち生物がかわいそうになる。しかし、生物はこうした危機を糧にして進化してきたのかもしれない。恐竜が生き延びていたら哺乳類は出現しただろうか。出現したとしても、恐竜のような強い生物に滅ぼされていたかもしれない。
ところで、進化って最初は偶然の産物なんだなあ。Nスペを見て衝撃的だったのは、DNAが種を超えて移動することだった。クラゲのような動物が植物プランクトンを食べた時、植物プランクトンの光を受ける遺伝子のDNAが動物のDNAの中に混ざったというのだ。奇跡と言うか、偶然と言うか。
哺乳類の胎盤はレトロウイルス感染がきっかけだったというのも衝撃だった。生物を死に至らせるレトロウイルスだが、生き残った哺乳類の生殖細胞に偶然入り込んだレトロウイルスからその遺伝子が組み込まれた。レトロウイルスの感染相手の免疫機能を抑制する働きや、細胞同士を融合させる働きが胎盤形成に重要な役割を果たすというのだ。
地球環境の変化とともに生物は進化してきた。海から陸へ、やがて哺乳類が誕生し、人類が生まれる。これが私たちの祖先?というような生物の時代から脈々と生命は受け継がれてきているのだ。
あと2日間だし、きっと混むと思うけれど、一見の価値ありです。

続きを読む "9月は上野で:生命大躍進"

| | コメント (0)
|

2015年2月15日 (日)

知らないことを知る楽しさ:ヒカリ展

212日 ヒカリ展(国立科学博物館)
150215hikari1 念願かなってやや駆け込み気味に見ることができた(222日まで)。
光のこと、そっち方面のアタマがぜ~んぜんない私は知らないことを色々知って、と~っても楽しかった。いつも言うように、情報を知らせたい人の熱意はそのままこちらに伝わるものだが、今回の展示もそう。あれもこれも知ってほしい、という熱意がむんむん伝わってきた。でも、とにかくそっち方面のアタマがぜ~んぜんない私(繰り返す)、多分子どもでもわかるように書かれている解説を理解する能力さえないことに改めて気づかされちゃった。
それでも展示はどれも興味深くて、とくに映像で説明してくれるものは文字だけの解説よりずっとわかりやすくて、1本が56分であるにもあるにもかかわらず、夢中で見た。でも、立ちっぱなしなのでとにかく疲れた。途中ほとんど休憩用の椅子もなく、年寄には堪えた(客層は比較的年齢の高い男性が多い。私と同年代の女性もそこそこ。みなさん、とても元気‼)。

光って、波でもあり粒子でもある(これは理解できた)。波長による光の種類(それすら知らなかった)、オーロラの謎(一度実物を見たい。古代人のオドロキ、恐れは如何ばかりだったか)、宇宙の誕生(これが一番興味ある)、宇宙天気予報(そういうものが必要になる時代はすぐそこに来ているかも)、植物と光(光る花)、鉱物と光(光る好物)、光るカイコ(そのカイコから取った繊維も光る、その繊維から作った布も光る)、光る花等々。その中で私があらためて認識を確認したのは、「物体の色は、その物体が反射している光の色である」ということ。これに関しては以前にちょっと本を読んで、ほんの少しわかったようなわからなかったような、だったので興味深かった。
赤外線カメラでは温度の高い部分は白く、低い部分は黒く写る。それを実証できるコーナーがあった。赤外線カメラの前に立ち、胸に数秒手を当ててから離すと、手の当たっていた胸の部分が本当に白くなった。ところが同行者は逆にそこが黒くなったのだ。え~、なんで?と考えた結果(この時は、温度と白黒の関係を忘れていた)、手が冷たいからじゃないかということに思いあたった。彼女は、顔の真ん中もちょこっと黒く写っていて笑えた。これも鼻の頭が冷たいんだって、あとで気がついた。

自分の理解から最も遠い分野のことって、わからないなりに面白い。科博では写真を撮ってもいいのが嬉しいが、ヒカリ展の魅力をうまく伝えられる写真が撮れなかったので、タイトルだけ。

| | コメント (0)
|

2014年7月13日 (日)

地球が立方体?

3位決定戦(議論はあるけど、私は単純にもう1試合見られるってことで…)が色々ひどかったので(でも、爽やかな笑顔で「からっぽになった」ロッベン、どこでもできてどこでも献身的なカイト、ブラジルには屈辱だったろうが3度の大会で選ばれながら1度も出場機会のなかった第3GKフォルムを出して世界初の23人全員出場を実現したファン・ハール監督、等々オランダすごいな。今大会無敗だし)、面白い話題を。

「もしも、地球が立方体だったら」
宇宙飛行士が木星から帰ってきたら、なんと地球が立方体になっていた!!

実際ありえないことなので、条件を決めておく。たとえば、
・1辺は10,000km。
・地球の内部を構成する物質は現実の地球とほぼ同じ。
・自己重力で崩壊することはない。
・陽との距離は実際の地球の場合と同じ(1億5,000万km)。
・公転周期は365日。自転軸は23.4度(実際の地球と同じ)、23時間56分周期。
・大気の質量・組成は実際の地球と同じ。
など。詳しくは→日本科学協会HP(ココ)で。

というような条件を理解したら、宇宙飛行士が立方体地球と遭遇する動画へどうぞ→ココ
前篇は昨年2月に発表されたいたそうだが、知らなかった。前篇では、地球は2つの極面と4つの側面からできており、極面は半年ごとに昼と夜を繰り返す極寒地帯、側面は24時間で昼と夜がある、地球の表面には急勾配な部分がある、中心部の地表では365気圧、摂氏500度以上になるといったことがわかる。
後篇では海の状態が紹介される。

荒唐無稽なようであるが、各分野の科学者たちの議論によって出来上がった立方体地球のアイディアは、難しい計算や数字はともかく、なかなかに興味深い。

| | コメント (0)
|

2013年9月20日 (金)

深海愛に溢れた「深海」展

920日 「深海」展(科学博物館)
駆け込みになる前に行ってきた。
平日昼間なのに老若男女、けっこう混んでいた。
面白かった。どんなことでもそうだが、発信する側の熱意が強ければ強いほど、受け手側の好奇心が掻き立てられ、面白く、頭の中にも入ってきやすい。NHKの「ダイオウイカ」でも、深海科学者たちの喜びがそのまま私たちの喜びになって、もっと知りたいという好奇心が湧き、この「深海」展はその好奇心を満足させてくれた。以下、自分の記憶と図録から(この図録が素晴らしい。深海図鑑と言おうか、深海百科事典と言おうか、今回の展示のすべてが詳しく載っている)。
1章「深海の世界」
最初は深海ってどういう世界だろうというコーナー。ここからして興味をそそられる。
●太陽光はどこまで届くか
深海とは水深200mより深い海を言う。太陽の光は推進1m45%100m付近では1%にまで減ってしまう。波長の長い赤い光は海面から数メートルまでの間に水に吸収される。吸収されたエネルギーは熱に変わり、表層水の温度を上げる。青から緑の光は海水中の光合成に利用される。青色の可視光は水深1001000m付近まで届く。水深200mを超えると人間の目では太陽光を感知することはできないが、1000mでも感知できる海洋生物が存在する。それぞれの層の水が水槽の中にあり、実際に明るさがわかるようになっている。
●深さと水温
表層、中層、一番下の層で水温は大きく異なるが、それを実際に触って体感できる。壁に組み込まれた窓の向こうに三層それぞれの水が入っており、窓に触ると、表層と一番下の層の温度差は歴然。深海の水は約2度で冷たい。
●深さと溶存酸素
海水に溶け込んでいる酸素(溶存酸素)の濃度は表層では高く、その下の層(水深1501500m付近)では有機物の分解などにより濃度は低くなる。しかしさらに深くなると、再び酸素に富んでくる。酸素は表層でしか産生されないため、北極や南極に近い高緯度域で、冷たく酸素に富む水が深層へと沈み、それが深層海流によって運ばれてくると考えられている。一番深いところで酸素が多いって知らなかった。
●高圧の世界
13092001_2 有人潜水調査船「しんかい6500」は6500mまで潜れるが、そこでは親指の爪くらいの広さ(1cm2)に軽自動車ほど(670kg)の水圧がかかる。てのひらくらいの面積には大型バスくらいの水圧(16トン)、「しんかい6500」には9万トンの水圧がかかることになる。想像つかん。ちなみに、水圧とは、水の中に物を沈めるとかかってくる水の重さのことで、水の重さは1cm3で約1g。って、この辺のこと、中学あたりで習ったんだろうけど、チョー苦手だったな。
ついつい面白くて色々書いちゃったけど、長くなるので、ここからは大端折り。
2章「深海に挑む」
130920026500_2
まず、深海探査の歴史が紹介されている。
187276年のイギリスの「チャレンジャー号」を先駆者としてアメリカやロシアが調査を行った。1950年のデンマークの「ガラテア号」による深海生物調査はガラテアレポートとしてまとめられ、現代の深海生物研究の草分けとされている。
13092004_2 様々な進歩があって、今では人を乗せて6500mまで潜れるようになったわけである。「しんかい6500」の実物大模型を見ると、3人乗りの耐圧殻(コックピット)は狭くいろんな機器がぐるっと設えられ、下の方には覗き窓がある(「ダイオウイオカ」の放送を思い出した)。
9
万トンもの水圧に耐える容器を作り出す人間ってすごい。私はいつも、物をつくる機械、機会をつくる機械、をつくる人間の能力に感心している。
有人探査船では、船体下部の2本の腕を内部から操作して、海底の生物や岩石などを収集している。その映像が流れていたが、100100中なわけではなく、時には生物を取り逃がしてしまうこともあるそうだ。
深海では、無人探査機も活躍する。自律型無人探査機「うらしま」はいわば海中ロボットである。
130920036500_2
3章「深海生物図鑑」
なんと、日本では1775年に木村蒹葭堂(けんかどう)という人が書いた「奇貝図譜」に水深150300mに生息するベニオキナエビスという貝の図がある。世界最古の記録らしい。標本採取は漁業の発達に伴って行われていたようだが、あの時代にそんな深いところの生物を取っていたとは、日本の技術ってすごい。
それにしても、深海にはなんと多種多様の生物がいることか。太陽光のほとんどない世界に住むなんて考えられない私としては、彼ら、何考えて生きてるんだろう、どうやって生きているんだろうなんて考えてしまう。でも、彼らだってそういう世界で生きるための智恵っていうか、環境に適応しながら生きてきたわけだもの。
4章「深海に生きる」
今の私の疑問に答えてくれるのがこの章。
●深海生物の栄養分はマリンスノーが運ぶ
マリンスノーは植物プランクトンや動物プランクトンの糞・死骸である。ちなみに「マリンスノー」という言葉は日本人研究者が名づけたもので、世界中でこの言葉が使われている。植物プランクトンは太陽光の届く表層でしか光合成を行えないが、マリンスノーになりやすい。しかし、有機物であるマリンスノーは沈む途中で中・深層の微生物によって分解されたり、動物に食べられたりするため、深海底にまで達するのは数%のみである。
●生物の鉛直移動
中層の生物たちには微生物が豊富な表層へ移動して餌を食べるものも多い。普段薄暗い中で生活している彼ら明るい表層へ出ると大型動物に食べられてしまうかもしれない。そのリスクを避けるため、夜に表層へ移動し、昼間は中層に戻るという日周鉛直移動を行っている。光合成を行う生物は中層の生物に食べられることにより、中層の食物連鎖に組み込まれる。
●中・深層の食う・食われる関係
マリンスノーや植物プランクトン、他の動物プランクトンを食べるプランクトンは、今度は魚類やクラゲ類などに食べられる。クラゲの中には、他のクラゲ類を食べるものもいる(クラゲとして大きく括れば共食いか)。中・深層の魚類が大きな口や鋭い歯をもっているのは、餌を得る機会が少ないため、確実に捕えることができるようにするためである。そのほかにも深海で暮らしていくための工夫が彼らの体に見られる。
●棲む
中・深層、あるいは海底だってとても生物の住む環境ではないように思うが、数百度の熱水が噴き出していたり有毒な化学物質が湧き出していたりの極限環境に棲む生物だっているのだ。光合成生態系に対し、化学合成生態系と呼ばれる特殊な生態系は、海底火山の周辺に存在する。日本周辺にはそういう場所がたくさんある(だろうね)。ちょっと信じられないけれど、どんな世界にも生き物はいるっていうことか。
もうひとつ、クジラの死骸を食べる生物たちがいる。コンゴウアナゴ、ヌタウナギ類(アナゴとかウナギって嫌いなんだ。ますます苦手になる)、大型甲殻類、サメなどがまずは肉を食い尽くす。これに数カ月から数年かかるんだって。そして骨が露出すると、ゴカイ類が骨を食べる。これも数カ月から数年続く。やがて骨の中の有機物や死骸の下の泥にしみこんだ有機物が腐敗し、硫化水素が発生、化学合成期がはじまる。二枚貝などが密集するこの時期は数十年以上に及ぶこともある。骨の中の有機物がすべてなくなると、骨は単なる構造物として、生物の住処になるが、この時期を直接観察した例はないそうだ。なんか、エグいと感じるのは人間の傲慢か。
5章「深海への適応」
13092005
巨大化する(ダイオウイカ、タカアシガニ等)、光る(チョウチンアンコウとか)、姿を隠す(発光したり、体が目立たない色だったり)、子孫を増やす(雌雄一体化してたり)などなど、この章も非常に興味深い。全部触れると長くなるからここでやめておこう。
このあと、「深海シアター」(ダイオウイカや深海生物などの映像)、6章「深海の開発と未来」(深海生物の産業や医療への応用)が続く。深海キッチンなんていうのも面白かった。寿司のタネ、フィッシュバーガーの原料となる魚など、深海魚とその加工された姿が並べ13092006 られてある。
最後は、研究者たち(この展示に関わったすべての研究者の顔写真と名前が貼ってあって、親しみを覚えた)が撮影した色々な生物たちの写真。それぞれの「この一枚」みたいな感じで、生物に対する愛情が感じられ、微笑ましい思いで見て歩いた。

深海を何となく面白いと感じたのは、むか~し、学校が連れて行ってくれた「太陽の届かぬ世界」を見てから。その興味が大きくなったのはNHKの「ダイオウイカ」なのはご多分に漏れぬ。夏休みを避けたけど、やっぱり人気なんだな。

13092007
時々食べるのり弁の白身魚フライは、ニュージーランドヘイク(ヒタチダラ)30~1000mに棲息しているんだそう。ずいぶん深度の幅が広い。キンメダイも200~800mの深海魚なんですって。

| | コメント (2)
|

2013年9月13日 (金)

椿姫で延命:イグノーベル賞

毎年楽しみにしているイグノーベル賞が今年も発表になった。
7年連続で日本人が受賞である。
今年は、「心臓移植したマウスにオペラを聞かせると生存期間が延長した」という研究(帝京医大・新見正則准教授他)が医学賞を、「タマネギの催涙成分を作る酵素」発見(ハウス食品・今井真介研究主幹他、石川県立大学・熊谷英彦学長)が化学賞を受けた。

マウスの実験は、心臓移植術後7日間、音楽を1日中聞かせたところ、平均生存期間はオペラ(ヴェルディの「椿姫」)群26日、モーツァルト群20日、エンヤ群11日、音楽を聞かせなかった群7日であったとのこと。音楽により免疫抑制細胞が増えたらしい。興味深い研究である。免疫に関する理解能はゼロに等しいので読んだってわからないだろうけど、検体数とか、他にどんな曲を聞かせたのかとか、モーツァルトは何の曲だったのかとか、人間への応用可能性とか、そういうことをもっと詳しく知りたい。
玉ねぎのほうは、既に催涙成分はわかっているはすだがと思っていたら、2002年に別の酵素を発見して、切っても涙の出ない玉ねぎも開発されているそうだ。玉ねぎは普段あまり食べないので特別な関心はなかったが、最近動脈硬化予防に少し食べるようにしているから、これも面白いと思った。ハウスの研究だっていうところがミソなのは、レトルトカレー開発中の発見だというから。
なお、授賞式にはマウスの着ぐるみを着た研究者が「椿姫」を歌って大ウケしたようだ。受賞者のスピーチは笑いをとらなくてはならないらしいから、その点はバッチリだね。

イグノーベル賞には皮肉を込めて贈られるものもあるが、趣旨は「人々を笑わせ考えさせてくれる研究」(Research that makes people LAUGH and then THINK)である。日本人の受賞として私の印象に残っているのは、バウリンガル(2002年平和賞)、34年間自分の食事を撮影し続け食物が人体に与える影響を分析しているドクター中松(2005年栄養学賞)、ウシの排泄物からバニラの香り成分を抽出(2007年化学賞)、粘菌コンピュータ(2008年認知科学賞。このチームの3人は別のチームでこの研究を発展させ、粘菌を使った鉄道網の設計で交通科学賞を贈られている。粘菌は南方熊楠の伝記を読んで以来ちょっと興味がある)、わさび警報器(2011年化学賞)である。
世界の受賞者一覧を見ていると、ほんと独創的な研究がい~っぱい。確かにちょっと笑っちゃうけれども実生活に役立ちそうな研究には目を引かれる。
たとえば今年、ハイジャック犯を通路に仕掛けた落とし穴に落してパラシュートで警察直行という装置を考え出して
安全工学賞を受けたアメリカの研究なんか、可笑しいけれど実用化されるといいなあと思う。
これからもイグノーベル賞に注目だ。

| | コメント (2)
|

2013年2月25日 (月)

日本の人口、答え

昨日、「答えは明日」と言っておきながら忘れてパソコンの電源切るところだった。
最近、こうやってよく忘れるのよねえ。
先日は、昭和歌謡を夢中になって聞きながら仕事していたら(比重は昭和歌謡>仕事)、歯医者の予約をすっかり忘れ、1時間も経ってから思い出して、慌てて電話して予約取り直し。ちょっと危なくなってきたかも…。

さて、答えは↓

続きを読む "日本の人口、答え"

| | コメント (0)
|

2013年2月24日 (日)

クイズ、日本の人口

縄文時代から現代までの日本の累積人口はどれくらいでしょう。
これ、先日行った科学博物館に出ていた(科博のはクイズ形式ではない)。
答えは明日。

13022401kahaku_2 13022406kahaku

電車から見て気になっていた科博裏のロケット。やっと近くで見てきた。
13022402kahaku

科博の中から見たクジラ。いつもは外からだから向きが逆。
13022403kahaku

なんと、今月2日に見てきた東北の芸能の、あの鹿踊りである。この前は気仙沼は早稲の鹿踊りだったが、東北一帯にこのような踊りがあるようだ。
13022404kahaku

日本で最初に稼働した電子計算機(真空管式計数型電子計算機FUJIC)。当時、カメラレンズの設計には膨大な計算が必要だったことから、富士写真フィルムの岡崎文次という人が、レンズ設計の自動化を考えて開発。この大きさ、人手の約2000倍になったという計算速度、感動的だった。
13022405kahaku

国産量産車のさきがけとなった「オートモ号」(1925年製の復元)。
全長3030mm、全幅1212mm、総高1636mm、車両重量450㎏、空冷直列4気筒。オーバーヘッド型マグネット点火クランク始動方式。排気量943㏄。
オートモ号は1924年(大正13年)から市販され、4年間で約300台が製造されたそうだ。

科博の展示を色々見ていて、私は生物(人間を除く)より科学技術系のほうが好きなんだなと思った。ぜ~んぜんわからないのよ。でも見ていて楽しい。

| | コメント (0)
|