乗物

2017年1月 6日 (金)

しんちゃん

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半蔵門駅で。
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ってことは、国立劇場に行ってきたのだけど、感想は後ほど。

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2016年4月19日 (火)

え~っ、へ~

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SRのゆるキャラらしい…。
もう1カ月も前に誕生したらしいが、ぜ~んぜん知らなかった。
「たま」はわかるとしてなんで「さぶろう?」と思ったら、subwayに掛けたんだそうだ。埼玉初の地下鉄という意味を込めたっていうけど、「さぶろう」からは「初」ってイメージ湧いてこないなあ。というより、「たまさぶろう」はやっぱり玉さまだもんなあcoldsweats01

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2014年7月16日 (水)

テレビでお勉強:バイキング

バイキングと言っても、数字が取れないと話題のあの「バイキング」ではない。中世のバイキングね。

船の操舵号令って、舵を右に取る時は「スターボード」、左に取る時は「ポート」って言うんだそうだ。「面舵いっぱ~い」って言うんだと思ってた。そうしたら「面舵」「取舵」は江戸時代の言葉で、イギリスから海の情報が色々入ってきた時に「スターボード」「ポート」になったんですって(つまり、明治時代からってこと?)。今「面舵」「取舵」と言っているのは海上自衛隊だけなんだとか。
子どもの頃っていうか、若い頃までっていうか、一般に「面舵」「取舵」って言われてたような気がするけど、船のこと何にも知らないから何とも言えない。それにしても海自だけがこの用語を使っているというのはオドロキ‼!
で、「面舵」「取舵」っていうのは、昔の日本では方位を十二支で表していたでしょ。進行方向を「子(ね)」としたとき、右は「卯(う)」左は「酉(とり)」になる。「卯舵」が訛っていつのまにか「おもかじ」になったんだそう。

さて、中世バイキングの船には右利きの人が操船しやすいように右後方に舵の板がついていた(右利きが多かったんだね)。すると接岸するのは必然的に船の左側ということになる。左側には港=portがある、だから左に舵をとることを「ポート」と言う。そして舵板はsteering board(ステアリングボード)→訛ってstar board(スターボード)になったそう。日本語も英語も訛って変化したっていうのが面白い。
もう1つ、進路を中央に取ることを「ミジップ」と言うそうだが、これは船の中央(mid ship)からきているんですって。

このバイキングの船の仕様は、現在でも航行の国際ルール(船はすれ違う際右側通行)に生きている。さらには、飛行機の搭乗口が機体の左側にあるのもバイキング由来だって、本当かな。

1年以上も前に録画した番組、もうきっと見ないから消しちゃおうとリモコン「消去」ボタンに手をかけつつ、試しにちょいと見てみたら面白くて、消さなくてよかった。

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2014年4月21日 (月)

大好き、空港

尾翼集です。どこの航空会社でしょう。

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2013年1月 3日 (木)

ジャスト2

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達成したのは昨年12月29日だけれど、ゾロ目ってなんかおめでたい気がして、3が日の間にアップしたかったの。

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2012年7月15日 (日)

ちっともお目にかかれない1000系

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演舞場に行くたびに乗っている銀座線。
それなのにこの1000系に出くわしたのはこれまでにわずか2度。
上は6月29日。
下は5月6日の初対面時。突然のことだったのでカメラの準備が遅れたうえ、なんかアガったというかアセったというかcoldsweats01
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2011年7月23日 (土)

東京の交通100年博②:写真集

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↑館内展示で唯一撮影OKの市電ヨヘロ1形の模型
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↑その運転レバー
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↑車内
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↑館外展示のこの電車は昭和53年にお役目を終えた6000形車輌の6086号車
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↑車内
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↑車内広告(リボントロントは架空? リボンシトロンのこと?)
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↑「三丁目の夕日」のジオラマ(カメラを持つ手が写り込んじゃった。鈴木オートを襲う怪獣みたいcoldsweats01) 100台限定で販売中
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↑函館の除雪車として活躍していたササラ電車。1番上の写真にあるヨヘロ1形車輌を改造したもので、昭和9年(1934年)の函館大火の際に東京市電気局から譲渡されたそうだ。今も2輌が活動しているとのこと。写真のササラ電車は今回の展示のため76年ぶりに東京に帰ってきた!!

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2011年7月22日 (金)

東京都の交通100年博①:都電を懐かしむ

721日 「東京都の交通100年博」(江戸東京博物館)
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都電に親しんだ生活――うちからちょいと駆け出せばそこはもう都電の線路。靴が挟まって取れなくなり母を慌てさせた子供時代、混んだ都電の中でセーラー服の背中を汗がつ~と垂れるのが気持ち悪かった夏の中学通学、学校帰り走行中の都電の下半分開けた窓の縁に載せておいたカバンが路上に落ちてしまい、次の停留所で慌てて降りて取りに走った高校時代(ノンキだったわねえ)。いつだったか、母と一緒に乗った車内で、どこかの男の人が持っていた大きな板みたいなものが母の踵にあたり、その人はバツの悪そうな顔をしただけで謝りもしないで降りていった。母の足袋に血が滲んでいたのに心配する言葉もかけなかった私…。

子供たちが夏休みに入る前に見ようと出かけたのだが、子供よりテッチャンらしき人や、私のように昔を懐かしむオジサン・オバサンたちのほうが多かった。でも午前中に行ったから比較的すいていて、丁寧に展示を見てくることができた。
まだ東京市だった頃の写真、時代時代の路線図、電車の模型、さまざまな切符、定期券(私の定期券はみんな捨てちゃったんだろうなあ)、路線番号の下に広告の入った系統板(私は16番で通学し、19番、20番、32番、35番にも時々乗った)、行き先表示板等々、夢中になって眺めた。
東京の路面鉄道の歴史は、市電発足前の馬車鉄道から始まる第1章から都営交通の将来を考える最終章まで10章に分けられて展示されている。
東京市電(東京市電気局:市電って東京市営電車の略称かと思っていた)は大正4年(1911年)81日にスタートした。100年史の始まりである。当時の営業距離は11路線、約99km、保有車輌は1054両、1日あたり利用客51万人。
この100年間には関東大震災があり、戦争があり、都電廃止があった。
車輌やシステムの導入には様々な試行錯誤が行われていたことを知った。
市電、市バス(ボンネットバスだったんだねえ。2輌連結バスなんていうのも実験的に導入されたことがあったらしい)。そういえば、トロリーバスなんていうのもあったっけ(あまり乗る機会はなかったけれど、見るのが面白いバスだった)。
会場には「東京地理教育 電車唱歌」なんていうのが流れていて、その楽譜入り教本っていうのか、そういうものが展示されていた。「鉄道唱歌」の東京ローカル版かな。
歌は皇居に近い日比谷から始まり、40番の歌詞にこんなのを見つけた「また日比谷より街鉄は 数寄屋橋より尾張町 三原橋をば渡りすぎ 木挽町には歌舞伎座よ」、さらに41番「新富町には新富座 芝居見物するもよし ここは築地よ名も高き 西本願寺のあるところ」へと続く(4041番は展示されていなかったのでネットで検索)。
昭和47年11月12日、6次に亘る都電撤去作業が終了し、荒川線を除く都電はすべて姿を消した。

館内展示最後に「マイつり革コンテスト」入賞作品の展示とジオラマコーナーがある。
つり革は斬新なアイディアいっぱいで楽しいが、作品に手を触れることができないのが残念。実際につかまってみることができれば、そのよさも実感できるのに。電車の左右に渡してみんなでつかまれるつり革とか、自分が降りる駅を表示したつり革などが面白かった。
ジオラマにはコーフンした。懐かしい停留所、けっこうなスピードで走る都電、飽きない。ジオラマを夢中で作る人の気持ちがわかる、と思った。私自身は思いっきり無器用だから最初っから諦めているけれど、器用だったらやってみたいわ。
館外には「三丁目の夕日」で使われたセットと都電が置かれていて、レトロムードいっぱい。車内広告も楽しい。写真もOK。館内は写真はNOだが、1つだけ「ヨヘロ1型」という車体がOKだった。
ちなみに、都電荒川線では秋以降に、33年ぶりとなる花電車を走らせる。子供の頃は花電車というとわくわくして見に行ったが、今も楽しみでワクワクしている(いろんな花電車があったのねえ、知らないものもかなりあるわ)。
写真は念願の「都電最中」。江戸博のお土産コーナーでwink
追記:都電に話が集中したけれど、都営の交通はもちろんそれだけではない。バス、地下鉄、日暮里・舎人ライナー、そして日本最初のモノレール、上野動物園のモノレールも歴とした都営なんである。正式名称は「上野懸垂線」。昭和32年12月17日開業。

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2011年7月16日 (土)

60,000km

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7月15日午後7時過ぎ、私の足、6万km達成(地震後の「これからはチャリ」という意気込みはどこへいっちゃったんでしょうねcoldsweats01 この暑さだし、年も年だし、許させられい)。この7月で7年目?8年目?
なかなか信号でじっくり止まれる機会がなく、ピンボケになってしまった(こういう時に限って信号スイスイだったりするのよねbearing)。

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2011年7月 7日 (木)

今夏も都電で

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今年は華のん企画恒例、夏の「子供のためのシェイクスピア」が池袋あうるすぽっとでなく渋谷で上演されるため、都電に乗る機会はないものと諦めていた。ところが、ニナガワの立ち上げた大規模修繕劇団の旗揚げ公演「血の婚礼」がにしすがも創造舎で行ということで、都電に乗ることができたscissors
はじめは新型のカラフルな車輌が物珍しかったけれど、最近ではこちら(↑)のほうが嬉しいかも。とはいえ、やっぱり↓も楽しい。
ところで、巣鴨に十数年住みながら、西巣鴨ってほとんど知らないのよね。探検したかったけれど、観劇のあと寄るところがあって、それはお預けbearing11070702toden

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